色眼鏡とはなんだろう

自分

本人

当事者

が『まったくの他人』を

日々、好んで見る期待する物語

最も心地よく選択しやすいものにあてはめているのかもしれない

『まったくの他人』であれば

自分に責任を感じる必要がないから





卑下することも

信仰することも


認識の共有ができれば

自分の中で不都合がなければ

正しさが認められる 



もともと社会はそうできていたから

それが認められているから



メディアでも

SNSでも

親兄弟友達でも

そういうふうになりたっているから



言っていい

やっていい

規則はそうだ 


それぞれ望んだものに寄り添う



クズと言ったり

神と言ったり


だからか

ネットやメディアで

『賛否両論』を謳い文句にしてるのをみると

作成者の抽出したい話題が見えてくる


どちらよりに話題を作りたい人なのかな

なんて


人は機械じゃないんだし

些細な期待や信仰を持っている

どんなところにどんな人が集まるのか

どんな役になっているのか

本当のところどーなんだろう?と思いをはせている





アイドルグループの総選挙とか

ほんとそれだなぁ

選ばれれば売れる価値と信用

期待と物語ができる


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そう言えば自分を可愛く演じることのできる

『SNOW』

なんてアプリもあった


そう考えると

化粧と素顔

ホントと嘘

そう見てほしいという主張

世代や流行りが変わっても

いつのころもそういうことするもんだ



だからできるだけ

自分を保てて許せる場所に身を置きたいですね